お義母さん、安らかに

旧友と東京で会っていた時に夫から電話があった。

「おふくろが、亡くなった」

私は静かな店内にも関わらず、我を失った。

「何?何言ってんだかわかんないよ!どういうこと?」

「20日タケノコ取りに山行って、見つからないんだ」

「じゃあ、じゃあ、まだ生きてるかもしれないじゃないの!?あ・・・なんで?なんで?日曜にあなたが

連れて行くことになっていたじゃない!?なんで!?」

鼻水、涙でボロボロの私を、旧友は店外に出ようと身振りで促した。

パニック状態で、食べたものの味すら覚えていない。

最終便は出てしまった。翌朝2番目の飛行機に乗るべく、ホテルを5時半にチェックアウトした。

慣れと言うのは恐ろしいものだ。

山産まれ山育ちで、山の事は解っていたはずだった。

この時に限って、離れ離れ防止のラジオも、携帯も、持たずに出かけた、

「ちょっと見に行こう」のつもりが、山に呼ばれてしまった。

憎たらしいほど気の強い義母、気丈に生きていてくれると願った。

『今、あなたに死なれて困る人がたくさんいるのです、どうか生きていて』

人に迷惑をかけるのが何より嫌いな義母は悲しんだろう、

大規模な捜索が行われた。

「登ればきっと道に出る」そう信じて、84の義母と、50代の義姉は登った。

薮の中、月が見えても薮がさわげば位置がわからなくなる。

川にはまり、義姉は足が立たない所に落ち、胸までつかった義母は義姉のリュックを引っ張って助けた。

丈夫で、軽く95くらいは生きてくれると思っていた。

でも、84の義母、濡れた体と冷えた山に、気力で持っていた義母、

義姉に、「もう動けない。せっかく取ったタケノコは持って、山下りてくれ」

後ろ髪を引かれる思いだったという、重く水を吸ったリュックを「かあさんの頼みだから」と背負い、

薮で擦り傷だらけになり、つんのめり、転びながら、傾斜の激しい山を下り、

道に出たところを通りがかりの人に救われた義姉。

水を吸ったリュックを持って下りろ、というような義母では無い。もう意識朦朧としていたのだろう。

捜索打ち切りの日の午前中、義母は見つかった。

検死の結果、義姉が下るのを見届け、心臓が止まったのだろうと。

ご遺体もきれいだった。ほとんど苦しまずに逝ったのはよかった。

大うつ病を抱えた私でも、長男の嫁として、ふがいなかった嫁として、

最期には精一杯尽くした。

真言宗に帰依していて、ある程度仏教を学んでおいて良かった。

家は曹洞宗だが、私はもはや現世は修業の場でしかないという思いを抱いている。

だから、いざとなったら落ち着いて行動できた。

お義母さん、許してね。

お義父さんに30年以上前に先立たれ、本当にがんばったんですね。

嫁には意地悪だったけど、寂しかったんですね、本当は。

広い広いおうちの留守番をしていた時、本当に隅々まできれいに掃除されていて、

頭が下がりました。

あなたがあまりにしっかりしていたから、

あなたをまだまだ頼っていた兄弟も娘も、非常に大きな試練に耐えられるよう、

どうか見守って下さい。

そして、非常に夫婦仲が良かったと聞いています。

お義父さんに、甘えてください。

知らぬ間に、標高950mまで登り、皮肉にもクマザサや緑生い茂る山の中で、
務めだからという表情も見せず、過酷な労働なのに、ひたすら心を尽くして、
捜索に携わってくださった、自衛隊、消防、警察、その他の方々、
心より敬服し、御礼申し上げます。

この記事へのコメント

2013年07月02日 11:34
お母様のご冥福をお祈りします
2013年07月13日 03:36
ありがとう。

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